8.14.2009

広島 平和記念公園 08.14.2009




広島の平和記念公園に行ってみました。今までまともにしっかりと見学したことがなかったし、行ったことがあってもただ風景をきれいな公園として見ただけで、全然行ったことにはなっていなかったので。今回が初めてといってもいいと思う。実際、新幹線で行ったのは初めてでしたし、新鮮でした。

まず初めの印象は外国人が多いということ。東南アジア系、ヨーロッパ系ともに偏りなく多かったと感じました。目にした人々の三分の一か四分の一位は外国人だったように思う(実際はもっと少なかったのかもしれませんが)。平和を目的に、国際的に開かれた公園であると実感できたし、そのためか歩いていてうれしくもあり、気持ちよかった。きっと天候のせいもあると思いますが。八月らしい暑さの快晴でした。

今日、原爆投下にたいする気持ちが鮮明になった。。
今までは可哀そう、二度と繰り返してはならない悲惨な出来事、でも戦争なので仕方のない面もあったのかも、アメリカを一方的に責めることはできないというような教科書的、常識的なことが頭にあっただけでした。これまで戦争について勉強したことがあまりないので、今日感じたことはまた今後勉強するにつれて変わっていくと思います。でも今回何を感じたか。それは、人を殺したら殺した側が絶対に悪いということ。これは、どんな理由があろうとも殺した側が悪い。日本も歴史の中で非常に多くの人々を殺してきた。なので、人を殺したことについて日本は絶対に悪い。それは明確にはっきりとその人々に対して謝らなければならない。広島の場合、アメリカははっきりと広島の犠牲者に謝らなければならない。このことを強く感じました。
とりわけ、原爆が投下された時期は、アメリカは日本の敗戦はもう時間の問題であり、ソ連も日本に対して参戦攻撃することは分かっていたのです。なのに原爆実験投資の成果をアメリカ国民に見せるため、世界の国々にアメリカの軍事の強さを見せ付けるため敢えて広島や長崎を使った。許しがたいことです。

人々はみんな命を持った生き物である、つまり、健康に生きることが何よりも尊く優先される。それは誰にも中断あるいは止める権利はないし、それを正当化するいかなる理由もない。自己防衛を超えた、自己顕示欲のための大量虐殺、原爆の投下は人間として最もしてはならない、最も神を無視した取り替えしの付かない行為である。

アメリカの知識人や教育を受けた人々はどうやって今まで原爆投下を正当化し国民を穏便に誘導して来たのだろう。パールハーバーのことがあるのだから当然ということになっているのでしょうか。


今日、初めて京都から電車で行ったために広島駅から平和公園まで辿り着くのに、途中ちょっと不安になってしまったのですが、路面電車でたまたま隣に座っておられたおばさん(60~70台?)が降りる駅を教えてくださいました。ありがとうございました。今日はこれからお墓参りに行くところだと私が路面電車を降りる直前に言っておられました。私は降りた後、もしかしたらあのおばさんは原爆で亡くなられた方のお墓へ行くところだったのかもと直感しました。なぜなら別れ際に私を早く降りるように押された手の感触が優しいながらも強く、そのときの目の表情からもなにか強い感情が伝わってきたからです。
私は広島駅から路面電車に乗らないといけなかったのですが、女性の駅案内さんの言うことを聞き間違えたのかJR在来線に乗ってしまい、広島駅から二つ目くらいの横川駅まで行ってそこで間違っているような気がしてもう一度駅員さんに尋ねたところ、やはり路面電車に乗り換えないといけないということで、横川駅で乗り換えました。そして途中から乗って来られたそのおばさんに尋ねてみたのです。
ほんのちょっとしたことでしたが、私の心の中で妙に印象的な出来事となりました。上品な思慮深い感じの方でしたので私のような不躾な者とは会話の釣り合いが取れないと思いましたがもう少し世間話でも何でもいいからしばらく時間を一緒にできればと思いました。

今日は八月らしい太陽の照りつける快晴の日となりました。公園の風景を写真に撮っていて、原爆の当日もこんな晴れた日だったんだろうなと思いました。ドームの600メートル上空で原爆は爆発したそうです。その位置が最も効果的な爆発点だったのでしょう。公園にいて、本当に許せない悪魔の出来事だと強く感じました。日本のリーダーは国民を代表して世界各地を尋ね、命を奪った人々に対して心からはっきりと謝罪してほしいと思います。戦争なんだからお互い様、相手国が謝ったらなんていう考えはありえない、あってはならないことです。そして殺戮を実行するように仕向けた国は、国民にも謝罪し痛みを分かち合うべきではないでしょうか。

日本はパールハーバーへ何度も行って何度も犠牲者に謝るべきだと思います。それは日本の為に亡くなった日本人兵士を侮辱することにはならない。兵士たちも生きておられたら同様のことを考えられると思います。日本人を含む世界中すべての犠牲者に謝るべきだと思います。それが世界から尊敬されるリーダーへ向けての出発点となります。